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お久しぶりです、こんにちは。旅行鞄からどういうわけかあなたにもらった年賀状がでてきて、たまにはこういうのもいいかなって思ったので、お手紙を書いています。
鈴木のことを覚えていますか。いいえ、私のことでなく、ことりの鈴木のことを。うん、きっとわかんないでしょう。あなたは(あなたたちは)鈴木が鈴木だってことさえ、わかっていなかったのだから。
小学5年生のとき、私たち同じクラスだった。それはきっと覚えていますね。仲の良い女の子ふたりだった私たちのことを。そして背の低い机の並ぶ教室のいちばん後ろ、汚れた灰色のロッカーの上。思い出してください。水色の塗装のされた細い金属。鳥かご。そのなかで暮らしていたことり。私たちが生かしていた黄色いことりを、あなたたちはカナちゃんと呼んでいました。そのカナちゃんこそが私の鈴木だった。私も同じスズキだったからよくわかったのです。共鳴って言うのかな、名前を言い合うこともないままそれを感じとっていて、私と鈴木は名前をとおして通じ合うことができた。
夏休みにはあらかじめ作っていた二人組が日ごと教室に訪れて鳥かごの掃除や餌やりをしましたね。夏休みの終わる三日くらい前、私に課された二回目の当番はあなたと二人組だった。それであなたは宿題ができてないからごめんねって泣いて電話をしてきて、私はひとりで教室に向かったのだった。
根に持ってるとかではないよ、大丈夫。そういうことすべて、運命のように思うのだから。あれが、あなたが私にかけてくれた最初の電話で、私はそれであなたと電話をすることが可能なことだって知ったのでした。
話が逸れたね。戻します。
夏の日差しの学校は電気をつけなくても明るかった。長期休暇中の入校は普段は子どもたちには開かれていない職員用通路からに限られていて、そこをひとりで通るのはどきどきした。光部分と影部分のコントラストのはっきりした教室、掃除ロッカーから伸びる影部分にいる鈴木は錯覚でなく煌煌と光っていた。
「鈴木」とそのとき私は初めて、鈴木のほんとうの名前を呼ぶ。
「スズキ」と鈴木は返事をする。
違う、私の名前を呼んだのだった。とたんに心臓に音楽が流れるような心地がして、鳥かごの扉を上に開き、そこから右手を差し入れていた。鈴木は少し飛んで、私の指をつかんだ。そして私は鈴木ごと右手をかごから引き抜く。鈴木は指から離れると教室を広々と一周して、私の右肩にとまった。
「鈴木、外に行っててみたい?」
私は鈴木に問いかける。返事は決まっている。小さいころから教室に暮らす鈴木は、外の世界をよく知らないのだ。見せてあげると私は言った。
教室を出て、影に覆われたちょっとだけ涼しい廊下を行く。職員用通路をくぐるとき、先生たちは誰も近くにいなかった。校門を踊るみたいにうきうきと通り抜け、坂道をくだる。学校に行くことを登山だなんて呼んでいましたね。ずいぶん小高いところにある小学校だった。私たちの町が一望できた。ミカン畑のあいだの道を駆け足でおりて、田んぼの畦道を行く。いちめん緑色。私と鈴木はクラスの友だちについてとか、最近の天気についてとか、いろんなことを話した。鈴木はずっとおとなしく私の肩の上にいました。
空の端が金色めいてくるころ、鈴木はそろそろ帰ろうかと言った。そうだねと頷いて、来た道をゆっくり戻っていく。落ちて腐りかけのミカンを蹴りながら坂をのぼる。蹴ったミカンは途中で受けそこなって、坂を転がり落ちていった。鈴木が笑った。私も一緒に笑いながらまた坂をのぼる。道の脇の木の枝に大きめの鳥がいるのを見つけて「鳥だよ鈴木」と言う。夕日に照らされキラキラしている。
「鷺だね」と少し考えて鈴木が教えてくれた。「脚が長いから」
鷺というのね。頷いて少しのあいだその鷺を見つめた。坂の上から人影が降りてきたと思うとそれが先生で、先生は怒ったような泣いたような顔をしながら、スズキさん! と大声を出した。「ことりが逃げたと言えばいいの、こういうときは」と鈴木に耳打ちされ、その通りに答えた。先生は私のところまで坂をぴゃーっと駆け下りて、私を抱きしめ、お母さんが心配して学校に電話をとか、私もすごく心配でとか、やっぱり泣きそうに説明する。私は先生の背中をよしよしと撫でた。
それから私と先生と鈴木は教室に戻り、鈴木は鳥かごに帰った。教室も金色で、鈴木によく似合っていた。
そんなことがあって、私はずっとあのとき見た鳥を鷺というのだと思い込んでいたのです。だけど久しぶりにこっちに戻ってきて、母たちとゆっくり話をしてあたりを歩いたりして、それが間違いだって気づいたのです。緑色の田んぼに脚をひたしているすらっとしたあの鳥がほんとうの鷺だということ。
でも鈴木が私を騙したとか、そういうことでないというのも知っています。あの子にとって、脚の長い鳥はだいたい鷺だった。教室から出たこともなくて、その法則を会得していたってことだけで、鈴木はすごい。鈴木について言っておくと、私は二学期の途中からはもう彼女と通じ合うことができなくなってしまっていました。私の持つスズキでなくなることの可能性を知ってしまって。
あなたは鷺がどの鳥を指すのか、きっとずっと知っていたと思います。鷺がどの鳥かの確認をみんなでする機会なんてないから、私の変な思い込みはずっと知らなかったことでしょう。私は結局ずっとスズキでいるし、スズキでなくなっていい、あなたと同じ名前を持ってもいいって思っても、そうすることは不可能な私たちでした。
でも。脚の長い鳥を、それだけで、鷺、とした鈴木。私もだいたいずっとスズキの存在として、ずっと通じ合っていればよかったなあって思う。少しのずれがなんだっていうんだろうね。あなたと同じ名前を持てないことだって、ほんとうは、恐いものではなかった。
ねえ、私は父母をやっと説得しましたよ。ゆっくり話し合えって言ってくれてありがとう。これから夜行バスに乗って、私は都会に帰ります。さっきメールした通り、10時にはもうつくみたい。確実にこの手紙より私のほうが帰りが早いだろうからおもしろいね。だけど書かずにはいられないことって、あるでしょう。
知らないことを教え合いましょう。教えたくないことは笑って秘密にし合いましょう。そうやってこれから、一緒に暮らしましょう。
鈴木のことを覚えていますか。いいえ、私のことでなく、ことりの鈴木のことを。うん、きっとわかんないでしょう。あなたは(あなたたちは)鈴木が鈴木だってことさえ、わかっていなかったのだから。
小学5年生のとき、私たち同じクラスだった。それはきっと覚えていますね。仲の良い女の子ふたりだった私たちのことを。そして背の低い机の並ぶ教室のいちばん後ろ、汚れた灰色のロッカーの上。思い出してください。水色の塗装のされた細い金属。鳥かご。そのなかで暮らしていたことり。私たちが生かしていた黄色いことりを、あなたたちはカナちゃんと呼んでいました。そのカナちゃんこそが私の鈴木だった。私も同じスズキだったからよくわかったのです。共鳴って言うのかな、名前を言い合うこともないままそれを感じとっていて、私と鈴木は名前をとおして通じ合うことができた。
夏休みにはあらかじめ作っていた二人組が日ごと教室に訪れて鳥かごの掃除や餌やりをしましたね。夏休みの終わる三日くらい前、私に課された二回目の当番はあなたと二人組だった。それであなたは宿題ができてないからごめんねって泣いて電話をしてきて、私はひとりで教室に向かったのだった。
根に持ってるとかではないよ、大丈夫。そういうことすべて、運命のように思うのだから。あれが、あなたが私にかけてくれた最初の電話で、私はそれであなたと電話をすることが可能なことだって知ったのでした。
話が逸れたね。戻します。
夏の日差しの学校は電気をつけなくても明るかった。長期休暇中の入校は普段は子どもたちには開かれていない職員用通路からに限られていて、そこをひとりで通るのはどきどきした。光部分と影部分のコントラストのはっきりした教室、掃除ロッカーから伸びる影部分にいる鈴木は錯覚でなく煌煌と光っていた。
「鈴木」とそのとき私は初めて、鈴木のほんとうの名前を呼ぶ。
「スズキ」と鈴木は返事をする。
違う、私の名前を呼んだのだった。とたんに心臓に音楽が流れるような心地がして、鳥かごの扉を上に開き、そこから右手を差し入れていた。鈴木は少し飛んで、私の指をつかんだ。そして私は鈴木ごと右手をかごから引き抜く。鈴木は指から離れると教室を広々と一周して、私の右肩にとまった。
「鈴木、外に行っててみたい?」
私は鈴木に問いかける。返事は決まっている。小さいころから教室に暮らす鈴木は、外の世界をよく知らないのだ。見せてあげると私は言った。
教室を出て、影に覆われたちょっとだけ涼しい廊下を行く。職員用通路をくぐるとき、先生たちは誰も近くにいなかった。校門を踊るみたいにうきうきと通り抜け、坂道をくだる。学校に行くことを登山だなんて呼んでいましたね。ずいぶん小高いところにある小学校だった。私たちの町が一望できた。ミカン畑のあいだの道を駆け足でおりて、田んぼの畦道を行く。いちめん緑色。私と鈴木はクラスの友だちについてとか、最近の天気についてとか、いろんなことを話した。鈴木はずっとおとなしく私の肩の上にいました。
空の端が金色めいてくるころ、鈴木はそろそろ帰ろうかと言った。そうだねと頷いて、来た道をゆっくり戻っていく。落ちて腐りかけのミカンを蹴りながら坂をのぼる。蹴ったミカンは途中で受けそこなって、坂を転がり落ちていった。鈴木が笑った。私も一緒に笑いながらまた坂をのぼる。道の脇の木の枝に大きめの鳥がいるのを見つけて「鳥だよ鈴木」と言う。夕日に照らされキラキラしている。
「鷺だね」と少し考えて鈴木が教えてくれた。「脚が長いから」
鷺というのね。頷いて少しのあいだその鷺を見つめた。坂の上から人影が降りてきたと思うとそれが先生で、先生は怒ったような泣いたような顔をしながら、スズキさん! と大声を出した。「ことりが逃げたと言えばいいの、こういうときは」と鈴木に耳打ちされ、その通りに答えた。先生は私のところまで坂をぴゃーっと駆け下りて、私を抱きしめ、お母さんが心配して学校に電話をとか、私もすごく心配でとか、やっぱり泣きそうに説明する。私は先生の背中をよしよしと撫でた。
それから私と先生と鈴木は教室に戻り、鈴木は鳥かごに帰った。教室も金色で、鈴木によく似合っていた。
そんなことがあって、私はずっとあのとき見た鳥を鷺というのだと思い込んでいたのです。だけど久しぶりにこっちに戻ってきて、母たちとゆっくり話をしてあたりを歩いたりして、それが間違いだって気づいたのです。緑色の田んぼに脚をひたしているすらっとしたあの鳥がほんとうの鷺だということ。
でも鈴木が私を騙したとか、そういうことでないというのも知っています。あの子にとって、脚の長い鳥はだいたい鷺だった。教室から出たこともなくて、その法則を会得していたってことだけで、鈴木はすごい。鈴木について言っておくと、私は二学期の途中からはもう彼女と通じ合うことができなくなってしまっていました。私の持つスズキでなくなることの可能性を知ってしまって。
あなたは鷺がどの鳥を指すのか、きっとずっと知っていたと思います。鷺がどの鳥かの確認をみんなでする機会なんてないから、私の変な思い込みはずっと知らなかったことでしょう。私は結局ずっとスズキでいるし、スズキでなくなっていい、あなたと同じ名前を持ってもいいって思っても、そうすることは不可能な私たちでした。
でも。脚の長い鳥を、それだけで、鷺、とした鈴木。私もだいたいずっとスズキの存在として、ずっと通じ合っていればよかったなあって思う。少しのずれがなんだっていうんだろうね。あなたと同じ名前を持てないことだって、ほんとうは、恐いものではなかった。
ねえ、私は父母をやっと説得しましたよ。ゆっくり話し合えって言ってくれてありがとう。これから夜行バスに乗って、私は都会に帰ります。さっきメールした通り、10時にはもうつくみたい。確実にこの手紙より私のほうが帰りが早いだろうからおもしろいね。だけど書かずにはいられないことって、あるでしょう。
知らないことを教え合いましょう。教えたくないことは笑って秘密にし合いましょう。そうやってこれから、一緒に暮らしましょう。
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